Refuse-意識と疾患-
僕は膠原病と精神疾患を患っています。
どちらも実際治るものではありませんし、薬を服用しながら症状を抑えて日々生きる、といった日々を過ごしています。
どうしてこの2つの疾患が辛いのだろう、といったことをよく考えますが、おそらくこの3つの点にあるのでしょう。
・治る見込みはない
・直接寿命に影響するわけではない
・薬の飲み合わせ上、「苦しい」という意識から抜け出すことができない
大げさに言えば、薬を飲み続けている限り「苦しいことが生きている限り続く」ような状態です。
ここで僕が疑問に思うのは、「死にたい」という感情と生存本能がなぜ相反してしまうのだろう、といったことにあります。
「死にたい」と「生きなければいけない」という意識を脳がいっぺんに持つ、という感覚が頭でも体でも理解できないのです。
しかし、「決して治らない障害」と「死ぬまで続くであろう心身の苦痛」を抱えながら生きていくことが果たして正しいと言い切れるでしょうか。
苦しんだまま生命の継続を強要されるということ、それこそ最早「虐待」や「拷問」そのものではないでしょうか。
社会保障費、医療費、自己決定権、幸福追求権など様々な面から見ても、「死を肯定すること」が悪いことだとは到底思えないのです。
「延命措置にしか成り得ることのない人生」、「生きるのに値しない命」の存在を認めてほしいのです。
幸せになる為に「拒む」という事が認められる社会が何時か来るまで生きる。
その姿こそが「死」という希望の為に生きているという事なのでしょう。