Life-愛と少子化-

どこかの精神科医さんのお言葉です。
「冷静に見れば、この世は悲劇で溢れているかもしれません。」
その通りだと思います。

そもそも、「貴方はこの為に産まれたのよ」という具体的な生きる目的を与えられずにまず「産まれさせられる」という受動的なスタートを経て、死というゴールへとただ為す術も無く歩いていくという事の意義とは何でしょう。

もっと極端に言うなら、生まれた瞬間から死へのカウントダウンをただひたすら待つ、それが「生きる」ということなのです。

「誕生とは始まり」で「死とは終わり」

終わりが約束されている以上、僕達は「死ぬから生きている」ということに他なりません。 

生命の誕生は素晴らしい
 き
  る
    と
     い
      う
       こ
        と
         は
          プ
            ラ
             ス

死んではいけないよ
 ぬ
  と
   い
    う
     こ
      と
       は
        マ
         イ
           ナ
            ス

「 足 し た ら ゼ ロ で は な い で し ょ う か 。」

一旦タイトルへ戻ります。何故「愛と少子化」などという題目なのか。
自分自身そうでしたし、今も「死にたい」「何で生まれてきたのか」「いなくなりたい」という声をTwitterで毎日のように見かけます。

但し、産まれてしまった以上それはもう取り返しがつかないのです。生きていればというより、産まれてしまえばもう辛いことからは逃れられません。

さて、誰が実践しようと子供を「幸せにする」方法など存在しませんが、「不幸にさせない」方法は存在します。

産 ま な い こ と で す 。
そもそもゼロならマイナスになりえないのです。

もちろん、「生きていれば辛いことや苦しいことだけでなく、楽しいことや嬉しいこともあるはずだ!」といった反論が来るでしょう。

然し、辛い人とはおそらく「幸せになりたい」ではなく「辛くならなくなりたい」のではないだろうか、と思うことがあります。
「プラスになりたいんじゃない、マイナスでいたくないのだと。」

もちろん聞き流してほしいですが、こういう考えもあるのではないかと思い「愛と少子化」というタイトルを付けました。

半分は冗談です。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

Autism-自閉症-

「今頑張れば後が楽だよ」
「若いときの苦労は買ってでもしろ」
この言葉を信じました。
ただひたすら勉強することが幸せになる近道だと思い込んでいました。
「この高校に入ったら一生安泰」
「学歴は選択肢を広げてくれる」
そう信じていました。
彫刻刀で机に「死ね」と彫られようとも、クラスの皆に陰口を叩かれようとも、教師に問題児扱いされようとも、ただひたすら勉学に打ち込んでいれば報われる、自分は正しい、努力しないあいつらが異常なのだと。
成績は優秀な方でした。模試では常に学年トップでしたし、県で1番になったこともありました。
目標の高校へは面接で落とされました。
当時自分が何を喋っていたのか思い出すこともできませんが、今客観的に自分を見直してみればそれが当たり前だと思えてきます。
「勉強ができるだけのバカ」がどれだけ社会に於いて疎ましがられるか、ということを当時自分は理解することができなかったのです。
勉強「も」できなかったらたぶんもう少し社会に馴染めていたのかも知れませんが、今更取り返しはつきません。
そんなどうでも良いペーパーテストが出来るくらいなら、良いコミュニケーションの方法を学ぶべきでした。今でもよく思います。

何故周りはそんなにスムーズな会話ができるのか?

何故周りはそんなに空気が読めるのか?

何故周りはそんなに仕事ができるのか?

何故周りは複数のことをいっぺんにこなせるのか?

何故周りはイレギュラーなことに対応できるのか?

何故周りはそんなに頭の回転が速いのか?

「なぜ普通のことが当たり前にできるんですか?」「当たり前じゃないですか」

何を言っているのかわからないのです。誰か助けて下さい。